おおはた雄一の音楽会へ出かけた。会場の下北沢leteはとても小さなお店で、小さな場所で聴くおおはた雄一の歌は至福。
席に着くとセーターのそでをうでまくりする。このささやかな習慣は、皮膚からも歌を吸収したいからで、もう何年も続けている。うでをまくるのとまくらないのとでは全然ちがう気がする。
「個人的な必需品」という名前の音楽会。同じタイトルの曲があって、めがねとコーヒーがぼくにとっての必需品である、という歌だ。なくてはならないものについて歌いながら突然、 ”そしてぼくはそろそろ、いらないものを考える時だ” とくるから、何度聴いてもドキッとする。彼の歌詞はときどきとても辛辣で、ぞくぞく!する!
必需品の需の文字は、雨ごいの形から来ているらしい。だれにとっても雨は欠かせないものだものね。今回「余白の余韻」という曲を聴くことができてうれしかったのだけど、その中にはこんな歌詞がある。
”歌は雨のように 歌は日差しのように 同じにふりそそぐ いいやつにも わるいやつにも”
おおはた雄一の歌はわたしの必需品で、わたしがどんなやつでも同じにふりそそぐ。とても安心なことだ。
夜に浮かぶ僕は船(「我們是朋友」より)
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