偏西風ととんぼ帰り

 1月のこと。仕事で伊豆七島の利島(としま)に出かけることになった。大型客船でおよそ8時間の旅だ。

 浜松町の駅で編集者と待ち合わせ、船のチケットを手に入れると、竹芝ふ頭最寄のコンビニに入った。通常とは違った品ぞろえに、わたしたちは一気に興奮してしまう。たとえば、通路一面にずらりと陳列された柿の種。こんなにたくさんの柿の種を目にする日が来るとは。長い船旅に必要なものとして、柿の種が上位を占めているということだ。すごいですねえ、おもしろいですねえ、そう言いながらコンビニを出て、海を見わたせる遊歩道にのぼる。

 波止場に、乗りこむ予定の「さるびあ丸」が停泊していた。大きな船だ。ちょうどコンテナを積みこむ作業をしていて、ふたりの若い男性が、軽快な動きでコンテナに巨大なフックを取り付けていた。運ばれてきたコンテナ上でフックをかけたら、身をかがめて、フックの先の鎖をよける。フックをかける、鎖をよける。繰り返しの動きはまるでボクサーのよう。一歩間違えれば、鎖に巻きこまれてしまうだろう。とても危険。こんな仕事があったとは。わたしは目が離せなくなる。ひと房のバナナを前にして、このバナナがわたしたちのところにやってくるのに、どんな働きがあるか想像してみましょう。そう言われても、コンテナにフックをかける仕事は、きっと思いつかない。

 船は22時ちょうどに出航。東京湾の夜景を、デッキから体が冷え切るまで眺め、船室に引き上げる。一等室の窓の外は、夜の海! 船の旅に気持ちが高ぶり、ついつい話し込んでしまう。深夜2時近くになってようやく眠った。

 早朝6時、寝ぼけた頭に悲しいアナウンスがひびく。偏西風に阻まれて、目的の島には着けないと言う。窓の外はおだやかな海だ。なんだかんだきっと着きますよお。のんきに朝食をぱくつきながら、わたしは言った。ところがというか、案の定というか、しばらくすると窓にしぶきが吹きつけはじめ、波が荒々しくなった。突然ぐわんぐわん揺れる船室。船酔いするわたしたち。ちょっと泳げば届きそうな距離に目的の島があるのに、無情に通り過ぎていく。島の人々はこれを「流された」と表現するらしい。

 仕事で会う予定だった方から「いま島から、通り過ぎていくさるびあ丸を見送りました」とメールが届く。あああ。

 しかし、まだ希望はあった。さるびあ丸という船は、最終目的地の神津島まで行ったのち、また同じ航路を引き返してくるのだ。つまり、復路でもう一度着岸のチャンスがある。

 数時間後、息をのむわたしたちの頭上に再びアナウンス。やはり利島へはたどり着けないと言う。利島は地形のせいで港がひとつしかなく、風の影響をもろに受けてしまうのだ。冬の間、着岸率は60%を切るという。結局20時間ほどの船旅の末に、のこのこ家に帰ってきた。何日か会えないよ~と別れを惜しんだ犬も、いつもの塩対応だ(彼女は数日会わずにいると大変愛想が良くなる)。

 長いこと海の上にいたので、地上におりてからも体が揺れていた。ぐわんぐわん、ぐわんぐわん。体中の水分が波になっているみたい。ちょっといい気分でもあり、気を抜いたら酔ってしまいそうでもあって、多少張りつめながら眠る準備をした。

 それにしても。偏西風かあ、もう何度目とも分からない感慨にふける。人間の思い上がりをぷぷっと吹き飛ばされたようで、どこか清々しいのだ。ふと思いついて、ベッドで『窓から見える 世界の風』(福島あずさ・著/nakaban・絵/創元社)を読む。タイトルの通り、世界の風の呼び名を、窓から見える景色の絵と共に紹介する本だ。次に島に渡ることができたら、漁師の方に利島ならではの風の呼び名があるのかどうか、たずねてみたいと思った。

 翌朝目が覚めると、荒ぶっていた体の中の水分は、すっかり落ち着きを取り戻していた。ほっとしたような、ちょっとさびしいような。

kiinote

児童文学作家、イラストレーター北川佳奈の雑記帳

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