家の近くに、私蔵の本を借りられる場所を見つけた。
教員を退職されたお父さんと、建築の仕事をしている息子さんが作ったその読書室には、わたしの背よりも高い松の木が一本にょっと伸びている。太陽光の役割をする電灯が上についているらしい。テーブルがいくつかと、椅子がたくさん。ここで本を読むことも、借りることもできる。
ちょうど読みたいと思っていた本が目の高さにあって、借りて帰ることにした。用紙に手書きで日付とタイトルを書き込む。お父さんがそれをはさみでちょきちょきと切り分け、半分を渡されて、手続きが済んだ。貸出期間は概ね1か月。概ね。この言葉があるだけで、息がしやすい。
家に帰る道すがら、雷の音が聞こえてきて、急ぎ足になった。傘を持っていなかったので、本が濡れたら大変だと思った。ぽつっと感じた水滴にハラハラしながらも、高揚している自分に気がついた。かばんに入っている本は、めずらしいものではなく、いつもの図書館で借りることもできる。それなのに、どうしてこんなにうれしいのか。
帰ってきて、本を取りだして気がついた。ここの本は、ありのままの姿なのだ。公共図書館の本はビニールの保護カバーでくるまれている。仕方のないことだけれど、読んでいてどこかよそよそしい。かっぱを着たひとを抱きしめるような感じ。ぬくもりが伝わらないというか。
日本の本のほとんどは、表紙にもともとカバーがかかっている。書店は入荷した本を自由に返品できるシステムなので、店頭や輸送で汚れた返品本でも、カバーをかけ替えることで再び出荷することができるようになるのだ。この仕組みには色々思うところもあるけれど、カバーのかかった本はたたずまいが素敵だし、紙や印刷、加工に工夫をこらしたりできる。カバーで隠された表紙で遊ぶことも。ビニールでくるんでしまったら、見ることができない。
借りてきた本は、ニス引きのカバーだった。しっとりとした手触り。カードに名前を書くというのも、夏休みの小学生にもどったようでなんだか可笑しかった。けれどわたしは十分大きくなったので、読書感想文などというものは書かなくても良いのだ。
余談だけれど、3年ぶりに健康診断を受けたら、小6で止まっていた身長が2センチ伸びていた。なんで!
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