サナギになってから10日。やわらかな新緑のような黄みどり色だったサナギが、若干乾いた葉っぱような色になってきた。生きているのだろうか? 不安になる。羽化してほしい、そしてそれを見たい。
知り合いの画家さんにイモ活の達人がいて、彼女に羽化についてたずねてみた。すると、午前中の羽化が多いこと、直前には羽の模様が透けて見えるので、おおよその羽化日が分かることを教えてくれた。
言われたとおり、中の羽が透けていないか目を凝らして見るのだが、よく分からない。透けているというよりも、サナギ自体の模様が変わったように見える。
新鮮な気もちで観察をしたかったので、生態を調べないようにしていたけれど、色々と心配になり、ついに検索。ネットの情報はあまり鵜呑みにできないが、答え合わせをするようでおもしろかった。
まず、下痢のこと。イモムシはサナギになることを決めた際、体の中の余計な水分を排泄するらしい。そういえば、それらしきものがあった。ある日、緑色のびちゃびちゃしたうんちが床に落ちていた。わたしはてっきり、きりふきで植木に葉水をした際に、床に落ちていた乾いたうんちが水にもどってしまったのだと思った。ティッシュでふきとって、レモンの香りがするかなあなんて、のんきに匂いをかいだりしていたが、あれは下痢だったのだ。
それからイモムシは、サナギになる前に食草を離れることも知った。なるほど、それでレモンの木をはなれてさまよい、アイビーを見つけたのか。今思えば、アイビーの枝のイモムシはすこし体が縮まったような印象があった。あれはすでに、サナギになろうと体をこわばらせていたのだろう。無理に他の木に移らせようとして、悪いことをした。
イモムシがサナギになる方法も知った。わたしはてっきり、糸か何かを体に巻いてサナギになるのかと思っていたのだけれど、実際には脱皮をしてサナギになるのだった! そういえば、サナギの下に丸めた靴下みたいなものが落ちていた。あれは、脱皮の殻だったのか。
ひとつ気になったのは、「途中で食草を変えることがない」という情報だった。もしそれが本当だとすると、レモンの葉っぱは十分だっただろうか、という心配がよぎる。レモンの葉が尽きてしまって、しかたなく予定よりも早くサナギになったのだとしたら? 栄養不足で成虫になれず終い、ということもあるのだろうか? あー心配だ、心配だ。
不安をよそに、翌朝起きてくると、イモムシハウスにアゲハチョウがとまっていた。羽化を見逃した無念さもふきとぶほど、立派なちょうちょだった。近づくと、おどろいたようで、ばたばたと飛び回る。羽をもつ生き物が閉じ込められているのを見るのは辛い。本当はもっと観察したかったけれど、写真を撮らせてもらって、すぐに離すことにした。
レモンの葉っぱを一枚残らず捧げた、という事実が、わたしを何となく恩着せがましい気持ちにさせていた。わたしは、ちょうちょが、わたしの指にちょっと止まってくれたりしないかなあ、と思った。指が無理でも、ベランダの植木にとまって、ちょっと羽を見せてから飛び立つくらいのことはしてくれるだろうと思った。
ところが、わたしのポテトちゃんは、イモムシハウスを飛びだすと、まっすぐに空に飛んでいき、屋根のむこうに見えなくなった。一瞬のことだった。ちょうちょには不似合いな表現かもしれないけれど、すたこらさっさ、という言葉がぴったりなくらい、早い逃げ足だった。
イモムシのぼうけんは、これで本当におしまい。ちょうちょのぼうけんは、わたしの知らない場所でつづく。
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